星になったのさ

わたしの憧れの人が

天へ召された。

Nさん、ピアノの先生。

89歳。

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亡くなる前日、

自分の最期が分かっていたのか

病院から電話がかかってきて

酸素マスク越しなので

何をしゃべっているかは

分からないのだけど、

「ありがとう、ありがとう」は

何度か聞こえた。

いえ、「ありがとう」を

伝えなくてはいけないのは

わたしのほうだ。

 

Nさんはピアノの先生なのだけど

先生と呼ばれることがキライらしく

まわりの人からも親しみを込めて

名前で呼ばれていた。

80歳を過ぎても現役のピアノの

先生で、数多くの生徒さんを

指導してきた。

クラシック音楽だけでなく

柔軟な方でいろんなジャンルの

音楽に興味を持っていた。

ピアノのレッスン室は

ジャンベディジュリドゥなどの

民族楽器を使った音楽をする人や

クラシック音楽を演奏する人、

ノイズ音楽が好きな人と、

様々なジャンルの音楽好きの

練習場所として開放してくれた。

 

そして、ときどき、このレッスン室は

パーティー会場にもなった。

「なんでもありパーティー」と

名づけられたパーティー

持ち寄りご飯で、ここの

レッスン室を使っている人や

Nさんちに集まる人、

誰でも参加OKで

演奏したい人、

朗読したい人、

手品をしたい人、

何もしない人、それは自由で

年齢も職種も音楽ジャンルも

バラッバラの人たちが

集まる、それはそれは

楽しいパーティー

 

広くはないけれど

手入れの行き届いた庭や

玄関までの枕木が敷き詰められた

アプローチには、

パーティーの夜には

キャンドルが灯り、

幻想的な空間になった。

Nさんはパーティーの後半はいつも

おしゃれな自宅の大きな窓から

まだまだ盛り上がっている

レッスン室をほうを

くわえタバコで嬉しそうに

見ていたなぁ。

カッコいいおばあちゃんだ。

 

Nさん。

チャーミングで好奇心旺盛、

食欲も旺盛、笑笑

知的だし

地元の音楽リーダーなのだけど

威張った感じもなく

誰に対してもフレンドリーで

愛に溢れた人だった。

 

職種、年齢もバラバラだけど

ご近所さんで組んだバンドで、

九州まで2回行った。

Nさんにはピアノではいってもらうと

注目度があがると目論み、

バンドにはいってほしいと

お願いに行ったけれど、

返事はN o !!!!

そりゃ、そうよね!

だけど、みんなで頭を下げて

お願いを繰り返したら、

最後は折れて、

バンドにはいってくれることになった。

そしたら、すぐに衣装はどうするの?

と言うNさん!笑笑

切り替え早っっ。笑

そして、バンドメンバーの衣装の

色あいや、ステージにたっている

イメージをもう頭で描いている!

そうだ!

Nさんはプロデュースする力も

すごいんだった。

ピアノの先生だけど、

歌の指導もしてくれて、

レッスン室で何度も何度も

ダメだしをくらった!

厳しいけれど、

その助言には愛があった。

 

予選を通過して本選の日。

緊張して、落ち着かない私に

みんなで作ったオリジナルの曲の

歌詞はみんなに語りかけるような

詩よね!って、

当たり前だけど、

目からウロコのような

アドバイスのおかげで

優勝!

ってか、それは

当時79歳という高齢のおばあちゃまが

口角をキュッとあげて

体を左右に揺すり

リズムをとりながら

それはそれは楽しそうに

ピアノを弾いているビジュアルの

おかげのような優勝だよ。

(まぁ、バンドメンバー、

みんな個性的だったのも大きいと

おもうけども)

優勝したあと、観光に

太宰府天満宮に行ったとき、

門前町を歩いていたら、

急にいなくなって、

探してたら、

梅ヶ枝餅の匂いにつられて

さっそく買い食いしてたり、

かわいい雑貨屋さん見つけてきて

入ろう、入ろうと誘ってきたり

(どんだけ乙女やねん!)

とにかく食欲も好奇心も旺盛。笑

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こんなこともあった。

ダウン症の子ども達に音楽を

楽しむ時間として、講師に

私達夫婦を推薦してくれたこと。

毎月一回、ダウン症の子ども達と

即興で音楽を奏でる教室を

Nさんのレッスン室で開催していた。

その生徒の中にTちゃんという

男の子がいて、感性がダントツに

豊かで、私たち夫婦も毎回、

Tちゃんから学ばせてもらってたの

だけれど、NさんもTちゃんとの

関わりの中で、音楽の可能性を

感じていた。

私達夫婦のレッスンにも

ピアノで参加してくれて

このときも、たくさんの

アドバイスをくれた。

いつも、Nさんは背中を押してくれて

いたんだなぁ。

 

この2、3年は入退院を

繰り返していたNさんの

体調が安定しているとき

思いついて、

息子さんに連絡して

 AOに連れてきてもらった。

海をみながら、一緒にご飯を

食べた。

 AOの隅から隅まで

飾ってあるものや

空間そのものを

楽しんでくれていた。

このロッキングチェアーは

Nさんから、ずいぶん前に

譲り受けたもの。

家に2つ買って(ふつうなら

こんな場所とるロッキングチェアー、

家庭に一個で充分だと思うが

なぜか2個買うところが

Nさんぽい!

そして、もうひとつはお孫さんの家に)

Nさんの思い出の品として

大事に使わせてもらうね!

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さて、

Nさんのお別れ会は

生前からの本人の意向で

お通夜もお葬式も

形にとらわれないものになった。

レッスン室のピアノの横に眠る

美しいNさん。

Nさんを慕うたくさんの人が

次から次へとお花を持って

Nさんに「ありがとう」を伝えに。

そして、自然と音楽がはじまる。

Nさんのお別れ会は

ずっと音楽が流れていた。

賑やかなパーティーが大好きだった

Nさんのお別れ会に

ふさわしい形だった。

 

Nさんに出逢えて、

わたしは本当に良かった。

いろいろな場面で

いっぱいホンモノを見せてもらえた。

感謝してもしきれないほどの

「ありがとう」を

贈りたい。

 

Nさん、安らかに

お眠りください。

あちらの世界でも

楽しんでね!